さとり

あなたの一歩救えますように

【ぼやき】自分なりの「答え」を言語化しよう

おはようございます、さとりです。

 

誰かの言葉を読んで、

誰かの言葉を聞いて、

 

なるほど!とか、

そういう考えがあるのか!とか、

自分とは真逆だな!とか、

さまざまな「気づき」があるなかで、

 

さとりが最近よく感じる「気づき」。

それは、

 

「私より先に言語化している人がいる!」

 

です。

 

私が、私の経験からのみ得た

自分なりの「気づき」が、

すでに他の誰かによって言語化され、

世の中に出回っているのです。

 

本当に衝撃でした。

こんなことを考えている人が他にもいるのか!

私だけの言葉だと思っていたのに!と。

 

その人が有名であればあるほど、

嬉しくもあり、悔しくもあり、って感じです。

 

これは一体どういう現象なのか。

 

 

たとえば、キリスト教の教えである

「隣人を愛せよ」。

意味は分かりますが、抽象的すぎます。

「具体的に」「何をしたらいいか」は、

読み解けませんよね。

 

そこで、

じゃあどうするの?を自分なりに考えて、

実践して、得られた「何か」。

この「何か」を通して、

「隣人は愛せよ」への理解が深まる。

やっとそこで自分ゴトになる。

自分なりに噛み砕いた言葉が生まれる。

 

それがたまたま、誰かの言葉と一致していた。

 

そういうことなんじゃないかな、と。

 

 

それにしても悔しいですね。

私が一番最初に言語化して世に放出していれば、

哲学者「さとり」として

有名になれたかもしれないのに。

 

という冗談はさておき(笑)、

 

言葉にするのが難しい「何か」、

体験からたどり着いた「真理」、

そういったものを頑張って言葉にしてみるというのは、

やっぱりとっても意味のあることだと改めて感じました。

 

 

最近は、「で、どうすればいいの?」ばかりを求めて、

自分で考えることをしない人が多い気がします。

 

時間を無駄にしたくない、

という気持ちからかもしれません。

 

時間がなにより大事、時間を有効活用、

と体に染み付いていますもんね。

 

だけど、

考えて、行動に移して、失敗して、

失敗から答えを得て、それをまた試して。

 

という行為は、決して無駄なんかじゃないと思います。

というより、それでしか人は成長できないと思います。

 

「あなたはこう!」とラベルを貼ってもらうことや、

「これだけやればいい!」という教えは、

それはそれは簡単で、安心できて、手っ取り早いですが、

 

もっともっと自分で考えて、

そのたどり着いた考えをあやふやなままにしないで、

しっかりと言語化する。自分のモノにする。

 

それがとっても大事なことだと思います。

 

 

そう、思いました。

 

 

さとり

2022/11/10 朝