さとり

あなたの一歩救えますように

可愛い子には旅をさせよ問題

おはようございます、さとりです。

 

最近、子どもの将来についてよく考えています。

子どもが将来、自分のやりたいことを見つけて

なりたい自分になるために、

私はどんなことができるだろう?と。

どんな環境を用意できるだろう?と。

 

 

これまでは、子どもにとって良い環境、

つまり心地よいと感じるような環境で育てたい、

という思いが強かったですし、今もそう思っています。

 

具体的には、

先生や親がまともで、いじめなど存在せず、

普通の家庭の、普通の子が大半の、小学校へ、と。

 

中学高校も同様に、

カーストなど存在しない、

同じような偏差値で、

同じような価値観の子どもたちがいる学校へ、と。

 

そして大学は、

将来の選択肢の幅が広がるように、

可能な限り上を目指し、来たるべき

「やりたいこと」「進みたい道」に備えてほしい、と。

(すでに見つかっているなら全力で応援する所存。)

 

けれど、ふと思うのです。

本当にそれでいいのか???と。

 

そんなお膳立てされた環境で生きて、

この世界を生きていけるのだろうか。

 

同じような価値観の人間に囲まれて、

均等にならすのをよしとする日本の教育で、

「なりたい自分」なんて見つかるだろうか。

 

私のように、カオスの中でうんうんと唸りながら

自分と向き合って、ない頭使って必死で考えて初めて、

「自分とはこういう存在だ」「こうしたい」「こう生きたい」

と思うのではないだろうか。

 

たくさんの困難や試練に小さいうちから出会う方が、

人間として成長できるのではないだろうか。

 

とかね。

 

 

また、私は自分が”恵まれなかった側”だと思っています。

なので、”最低限これだけはしてほしかった”と思うことを

子どもにしてあげたいと思っています。

 

興味を持ったことはなんでもやらせる、とか、

外国語の早期教育、とか。

 

色んな所へ旅行に連れて行きたい、とか、

博物館や美術館へも積極的に連れて行きたい、とか、

ピアノや管弦楽の生の音楽を聴かせたい、とか。

 

 

けれど、それは果たして子どもが望んでいることだろうか???

 

シンプルに考えれば、

私がしてほしかったことを、

子どもがしてほしいとは限らないのに、

なぜこう短絡的に考えてしまうのだろうか?

 

子どもにとって大事なことはもっと他にあるんじゃないか?

教養も大事だけど、それ以上に大事なこと。

 

それは、自分がやりたいと思ったことに対して、

自分の力でその手段を見つけ、自分で実行することなんじゃないか?

 

とかね。

 

 

子どもには強く、賢く、たくましく生きてほしいと思いつつ、

苦労しない、憂き目にあわない、優しい世界を用意したいとも思うのです。

 

この相反する感情をどう処理したらいいか迷います。

 

今後の世の中で個人が生きていくのに必要なスキルと、

そのために親が今してあげられることはなんなのか。

 

引き続き模索していこうと思います。

 

 

さとり

2022/12/22 お昼前