こんにちは、さとりです。
幼少期〜思春期の記憶や経験は、
良くも悪くも自分の人生に影響を与えますよね。
ちなみにさとりの幼少期については
この記事でさらっと紹介しています。
なかなか波乱万丈で、自分で読み返しても面白いです(笑)
では本題へ。
■ 親の「一言」は一生残る
「人格形成」は、確実に幼少期〜思春期に
親とどういう関係だったか
に帰結すると思っています。
親にとっては何気ない一言が、
一生子どもの胸に突き刺さって
抜けない棘になるのです。
子どもは棘が刺さった状態で、ずっと生きていきます。
■ 「一言」の克服は難しい
成熟すれば子ども自身が棘を克服する可能性もありますが、
「成熟」と「歳を重ねて大人になる」
は全然違います。
知識がついても、社会的地位が上がっても、
結婚しても、子どもを育てても、
心・精神・人格の成熟が達成されるわけではありません。
ゆえに、そう簡単には
親の「呪いの一言」を克服できるわけではないのです。
■ 信頼関係がすべて
親の「よかれと思って」が、
子どもにとってはこの上ない苦痛だったり。
親の「願望」が、
子どもにとってはこの上ない重荷だったり。
親の「約束の反故」が、
子どもにとってはこの上ない裏切りだったり。
これらの過重なストレスの積み重ねは、
様々な形で子どもから発散されます。
非行、引きこもり、最悪な場合は殺人や自死。
・・・少し考えれば分かりますが、
これらはひとえに親との「信頼関係」が
上手く構築されていないから起こることです。
結論を言うと、信頼関係は、
誠意を持って真摯に相手に向き合うこと
で構築されると思います。
それしかないと思っています。
■ 「世話」の延長で強要しない
信頼関係が大事、と言葉で言うのは簡単ですが、
とはいえ乳児〜幼児と、親の「世話」があっての今ですから。
言葉をもたない赤ちゃんと同じ感覚で、
倫理や道徳を伝える感覚で、
つまり「親としての義務」と同じ感覚で、
正しい(とされる)行いや
勉学に励むことを強要してしまうのは、
なんとなく分かる気がします。
「幸せはこうあるべき」と考えて、
幸せになるための筋書きに乗ってほしい、
乗せたいと考えたくなるのも、分かります。
でも、
自我が芽生えたら、そうではなく、
やはり1人の人間として向き合う必要があります。
様子を見、話を聞き、必要があればサポートする。
失敗しても責めない。
失敗は誰にでもある。苦手なことだってある。
人と同じようにできないことがある。
得意なことがあれば伸ばす、認める。
結果がすべてであることは、本当は子どもも理解している。
でも、過程を評価されると、認められると嬉しい。
何よりも、
どんな自分でも変わらぬ愛・信頼
がそこにあることで、
「失敗したけど(本当は失敗なんかではない)
次もやってみよう、試してみよう」と思える。
それは誰だって、
子どもだろうが大人だろうが、
同じだと思いませんか?
■ 親としての自分を振り返る
心の傷を追った分だけ、成熟に至るには難しくなると思います。
「自分は心に傷を負っているな」という自覚、
「自分は精神的に未熟だな」という自覚、
に時間がかかります。
親を反面教師に、
「自分は親のようにはならないぞ!」と思えたとしても、
どこかで「理想の親子」を押し付けていることもあります。
子どもと、ほんとうの意味で向き合っているか、
少し立ち止まって考えてみてほしいのです。
過度に期待していないだろうか、
過度に世話していないだろうか、
過度に放置していないだろうか、
無視していないだろうか、
威圧的に接していないだろうか。
ぼんやりと片手間で話を聞いていないだろうか、
本当に悩んでいることを聞けているだろうか、
日々の生活で、本当はどんなことを思っているだろうか。
親として本音を言えているだろうか、
経緯や理由をきちんと説明しているだろうか、
「ありがとう」と「ごめんね」が言えているだろうか。
そして、
自分は、自分に刺さったままの棘を、
克服できているだろうか?
■ さいごに
子育て方針は、なかなか修正が難しいと思っています。
でも、「自分の子育てってこれでいいのかな」
と思うきっかけになればいいなと思い、
子を持つ親のみなさんに届けばいいなと思い、
少しでも親子の未来が明るくなればいいなと思い、
そして自戒も込めて、
私なりに考えたことを、駄文ながら書き記しておきます。
あなたの一歩救えますように。
さとり
2022/11/7 お昼どき
私が人格形成や子育てについて参考にしている書籍があります。
もしご興味がある方がいらっしゃれば
本記事のコメントにてお返しいたしますので、
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